「田舎暮らしの本」(宝島者)2004年3月号掲載
6年住んだ旧教員住宅が取り壊されることになった。4畳半一間、6畳一間と台所に風呂・トイレ。家族4人が住むにはちょっと狭いが、柚子畑に囲まれた川の畔の一軒屋で、ボロ家なりの愛着があった。もう少し住んでいたかったが、そうも言っていられない。急いで村内で他に借りることのできる家を探すことになった。
過疎の村。空き家は多いが、いざ借りるとなると難しい。周りの空き家を見ても、昔から使い続けてきた農機具や道具の数々が所狭しと置かれていたり、町へ出た家主が時々戻ってくる週末ハウスになっていたり、空き家歴ン十年で、ほとんど朽ちかけていたり。改築にお金をかける余裕はない。
はて、どうしたものかと、親しくしてもらっているナンコねぇに相談する。
「ほりゃぁ、大変じゃ」。それからが早かった。ばぁちゃんネットワークでめぼしい空き家をピックアップし、子どもの通学に遠すぎないか、実際貸してもらえるか、しかも家賃は安めで、の交渉まであっという間にすすめられ、「明日一緒に見に来んかぁ」と電話があるまでにそう日にちは掛からなかった。。
田舎には不動産屋はないけれど、心安いじぃやばぁたちの情報ほどかたいものはない。早速その物件を見に行くと、適当な広さで、日当たりもまずまず。2年ほど人が住んでいないので内装は少し痛みかけているが、十分修復可能な状態。子どもたちも、初めて自分の部屋が持てるかも、と期待している様子だ。「是非、お借りします!」即決した。
今年度中に引っ越せばいい、と私たちののんきな引っ越しモードをよそに、それからのばぁたちのスピーディーでありがたい協力といったらなかった。
借りることが決まってから何日もしないある日、「わしらが紹介したけん、汚いままでは気の毒じゃ」と、10人ばかりのばぁたちが早朝から集まって、外回りの掃除をしてくれている。前日に連絡を回してくれていたようで、たまたま留守をしていた私たちだけが知らなかったらしい。
「待っとんたんじゃ、鍵あけてくれるか。中も掃除せにゃ」と、どやどやと中に分け入り、畳も外に干しての大掃除が始まった。まだ日中は暑い秋晴れの日で、ばぁたちはたくさん汗をかいて作業してくれている。
「この畳はだいぶ痛んどるけん、代えた方がええわ。だれそれの倉庫にまだ使える古畳が置いてあるはずじゃ。」
「この風呂の戸は腐っとるわ。うちにこれと同じ半間の扉があるけん今度持ってくるけんの」
そんな会話を交わしながらてきぱきと動き回るばぁたちに囲まれて、私はどうも掃除のじゃまなので、すみっこの方で冷たいお茶の準備をする。
気づくと、向こうの道からユンボ(ショベルカー)が近づいてくる。でこぼこのある横の空き地を均すために、ユンボの名士であるケイ兄(ルビ・にい)に頼んでくれたらしい。
「平らにすれば、ここに車1台置けるけんの」。
半日ほど汗だくで作業をして、
「ま、だいたいきれいになったわ」
と、ばぁたちは晴れ晴れと去っていく。こちらはありがたいやら恐縮するやら・・・。それが、引っ越し準備第1日目だった。
その日以来、台所を床張りにしたり、外にあるトイレに渡り廊下をつなげたりといった改築作業を、連れ合いが素人なりにぼちぼちと始めたのだが、あまりにもスローペースなので心配してくれたらしい。元大工であるアサ兄がやって来て、「こりゃぁ、こうするんじゃ」と大工妙技を次々と披露し、作業は瞬く間に進んでいった。早起きのアサ兄は、いつも早朝から来て外で焚き火をし、「お、来たか」と、作業開始を待ってくれていた。
改築に使う用材も、「わしく(私の家)にあるのを使ってや」と何人もの申し出を受け、何十年も前に自分の山から伐り出し保管していた貴重な材も使わせていただいた。
自分の家は自分で直す技量を、ここでは誰もが持ち合わせている。その昔、と言っても、今の70歳代以上のじぃやばぁたちが家を建てるとき、柱は必ず自分の山から大鋸で伐り出し、川に落として流送し運んで使ったという。私たちが借りる家も、そうして運んだ桧の柱が何本もある。釘を打とうとしても堅くて入らず、反対に一度打ち込んだ釘は簡単には抜くことができない。それ以前に、人の手で苦労して山から伐りだした木だと思うと、カレンダーを掛けるごときで不用意に釘を打つのもためらわれるほどだ。
こうして、私たちが山人(ルビ・やまびと)の歴史に一つ一つ感じ入っている横で、アサ兄の手は止まることなく、そのお陰で何とか年を越す前にだいたいの改築作業は終了した。
「まぁ、迷信じゃろうけんど、いい日に引っ越してこいよ」との、じぃやばぁたちの言葉に、そういうことに全く無頓着な私たちだったが、一応大安吉日に荷物を運ぶことにした。
何とか落ち着くことができて、「よかったよかった」とほっと一安心しているのは、私たち以上にじぃやばぁたちだったかもしれない。畑の合間に「どうじゃ、住み良いか?」と順番に顔を出し、「ここんとこ、もうちょっと屋根を出した方がええのう」「ここに靴置きを作ったら?」となおも我がことのように考えてくれている。
引っ越して次の日、隣に住む一人暮らしのばぁちゃんが満面の笑顔で言った。
「ここに夜、灯(ルビ・ひ)がともるだけで、わしらどんなに嬉しいか。子どもの声が聞こえるだけで、どんなに元気が出るか。わしだけやない、近所のシはみんなそう言っとるわ。ホンマにありがたいこっちゃで」。
ああ、そういうことなんだな。じぃやばぁたちがあんなに一生懸命家を探し、いろいろと手伝ってくれたこと。過疎の村に、人が住むという意味、子どもが大切にされるわけがその一言で理解できた気がした。私たち自身も、山奥の一軒家では暮らせない。こうして人のぬくもりが身近に感じられるからこそ、山の暮らしを満喫できるのだと今、実感できる。山での7度目の春を迎えようとしている。