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げんばまきこの書きしごとなど、ぽつぽつ集めてみました


by hitohiroya
第1回 足半
第2回 父の背中見て
第3回 管流し
第4回 かっこええで ヤスねえ
第5回 あうん
第6回 山の達人
第7回 炭焼きの日
第8回 柚子
第9回 山の暮らし
第10回 石積み
第11回 猟の季節
# by hitohiroya | 2009-03-28 06:19 | my works

旬の贅沢

〜コープ自然派連合タブル連載「笑う! 田舎暮らし」3月号〜 

 村の数少ない商店には、町のスーパーのように常時生鮮野菜が並んでいることはまずない。野菜はそれぞれ自分の畑で作っているので、たまに仕入れてくる野菜は季節外れのハウスものがほんの少し。菜っ葉類から芋、豆、夏野菜に至るまで、さながら畑はスーパーの野菜売り場のようだ。手塩にかけてばあちゃんたちが育てる野菜の味は、大量に栽培されるものとはまったく違う野菜のようでもある。ひとことでは表せないけれど、とにかくおいしく味わい深い。サツマイモをふかしたのをいただいたときも、それだけで和菓子のようなおいしさだった。気の毒だけど、店に並んだハウスものの野菜たちは肩身が狭そうだ。
 「野菜は旬のものを食べよう」と言われる前に、村には旬の野菜しかないので、絶対冬にキュウリは食卓にあがらない。夏の食卓に毎日毎食登場するキュウリもなすも、秋までが旬。冬には寒い季節に収穫される大根やイモ類など、身体をあたためる野菜が主流になる。当然、毎日同じ野菜が登場することにもなるけれど、その分いろんな調理方法を工夫したり、新しいコラボな料理が発見されたりして結構楽しいのである。野菜の他にも、柿やぶどう、梨やキウイなどの果物まで、驚くほどのレパートリーの広さである。
 今の季節は、ハクサイや小松菜、チンゲンサイ、ほうれん草やキャベツ、大根など、あらゆる菜っ葉類のトウ立ちの季節。寒い冬をじっと耐えて、あたたかいお日様にむかってにょきにょき背を伸ばした菜の花たちのオンパレード。旬の季節、春先だけの贅沢な味覚は、冬中にたまった身体の毒をおろすとか。
 売ってないから作るのか、作るから売っていないのか、自家用だからこその少量多品種栽培。なんとかこのおいしさを町にも届けたいもんだなあと画策していると、隣のばあちゃんが「もうジャガイモ植えたか?」—いえいえ、まだでした。村ではおいしい和菓子も当然売ってないけれど、今年は私も和菓子のようなイモを作るのだー! 「はよう、耕せよ」—はいはい。早く準備せねば、店では買えませんものね。
# by hitohiroya | 2009-03-28 06:02 | my works

「便利やけどあかん」

〜コープ自然派連合「タブル」連載2009年2月号〜

 「おるか〜。薪いらんか〜」とお隣のおんちゃんがやってきた。家の敷地内のケヤキの枝を切ったからと声を掛けてくれたのだ。
 山に暮らしていても、意外にも薪を揃えるのは一苦労。伐りだす手間も、運ぶ労力もたいへんなもので、重機に頼らざるを得ないことが多いからだ。マイ山など持っていない我が家などは問題外だが、落ちている杉枝を拾ったり、木を切りだした後の切り株をもらいに行ったりして、なんとか細々とお風呂を焚くための薪を確保している。時にこうして薪を提供してもらえるのはたいへんありがたく、「わお、いただきます〜」と即答。
 切ったばかりのケヤキは、枝といえどもかなり重い。こういう雑木の薪は、火力も強く、火持ちもいいので、少量でもかなりのエネルギーになる。これで春くらいまではあたたかいお風呂に入れそうで、もうおんちゃんに足を向けて寝られません。ありがたや〜。
 おんちゃんはケヤキを軽トラからおろしながら「やっぱ、薪の風呂はええだろ。熾きが残って湯が冷めにくいけん。ガスも電気もすぐ冷める。便利やけど、あかん」
 「便利やけど、あかん」—お風呂の他にも、村ではみんなが共通で持っているこの感覚。化学肥料を使わずいっぱい汗を流して肥料になるカヤ(ススキ)を刈るばあちゃん、いろんな種類の漬け物が店に並んでいようとも毎年どっさり漬け物を漬けるばあちゃん、わざわざ山から木を切りだして自力で小屋を建てるじいちゃん。ここでは少し前の、自然と共に暮らして来た頃のライフルタイルが今もそのまま残されている。
 今の時代、自分自身もたくさんの便利を享受しながら暮らしているわけだけれど、近頃の便利さには必ずリスクがつきものだ。でも、そのリスクを頭で考える前に、本物のよさを味や体感などで感覚的にわかっているからこそ、山の人たちは昔ながらの暮らし方を大切にしているんじゃないかな。肩肘張った環境論を振りかざすわけでない、すーっと身体に染みていくようなまさにナチュラルなほんまもんのエコライフ。
 いただいたケヤキの枝。長いままなので、これから鋸で適当な長さに切らねばならない。雑木は枝であっても切るのはとても時間も力も要る。よっしゃ、これでいっぱい汗かいて運動不足一気に解消! 山のじいちゃん、ばあちゃんのエコライフは、環境にも身体にもいいのである。
# by hitohiroya | 2009-03-28 06:00 | my works
コープ自然派連合機関誌タブル2008年12月号掲載

 私の住む村には、当然スーパーもコンビニもない。なので、町の人には「村は不便」と思われている。でも、小さな商店や電気屋さん、郵便局まで、必要最低限の店や施設は必要数揃っていて、実は贅沢を言わなければ意外にも便利だったりする。
 村の小さな商店では、頑固なおじさんがその妥協しない目利きで新鮮な魚を仕入れてくるので、山にいても刺身がうまい。野菜はみんな畑で作っているので売っていないが、衣料品などの種類はおじさんのチョイスに限られるけれど一通り揃っている。無駄買いせず、必要なものだけ買えるのもいい。
 車屋さんでは、ちょっとした修理で新しい部品を注文するともったいないと、廃車した車の中から使えそうな部品を探して来て破格値で直してくれるのでたいへん助かったりする。タイヤもチェーンもリユーズ。環境省から表彰されてもいいくらいエコな車屋さんなのだ。時には「鹿肉あるけん、とりにこいの」と猟でしとめた鹿肉や猪肉、釣ったアユ、畑でとれた芋なんかをくれたりもする。
 ガソリンスタンドも営業時間外であっても戸を叩けば開けてくれる。宅配便の荷物も、家が留守でも畑にいるのを見つけて持って来てくれる。小さな診療所では、待ち時間も少なく夜でも電話すれば即診てもらえるので、これまでに子どものケガで何度かお世話になった。
 こうして見ると、個々人のつながりに支えられて村はかえって暮らしやすい。統廃合で、行政サービスは低下の一途ではあるけれど、心豊かに生きていくための最低限のラインは守るべく、小さな村もどっこいがんばっているのだ。
 こんな風に、柔らかい経済活動と、足りないところは人の心で補う有機的なつながりの中で暮らしていけることは、とても「贅沢な」ことなのかもしれない。
 一般に言う「便利」とは、人との交渉と関わり無くして欲しいものが手に入るのと同義なのだとすると、「不便」から生まれる知恵や人とのコミュニケーションは、今の時代もっと大切にされてもいいように思えてくる。  
 昨日「大根が食べたいな〜。やっぱり秋に大根蒔いとくべきやった」と思いながら、お隣に回覧板を持って行ったらなんと大根と里芋をいただいた。顔に「大根欲しい」と表れていたのか、心の中が透けて見えたのか。ありがたや、ありがたや。村はとても不便で便利で住みやすい。そう、ここはかゆいところに手が届いてちょうどいい力加減でかいたあとヒーリングもしてくれる、コンビニエンス・ビレッジなのである。
# by hitohiroya | 2008-12-27 06:20
(コープ自然派事業連合機関紙タブル 08年10月号掲載)

 村を突っ切る国道に、9tの大きな岩が落ちて来て全面通行止めとなった。丁度通りかかった車が岩に挟まれ、運転手は命はとりとめたものの大けがという大惨事。これまでにも土砂崩れはたびたびあり、台風のたび、大雨のたびに、どこか崩れないかと気にかかり、なるべく外出は控えようとするもののじっとしていては暮らしていけないので、「カミサマ、ホトケサマ、天国のじいちゃん、ばあちゃん!」とひやひやしながら道を通っていた。まったく人ごとではない。
 2年ほど前も、集落にほど近い国道で土砂が崩れて通行止めになった。迂回路はない。ちょうどその日、近所のばあちゃんたちがゲートボールの試合で町に遠征に行ったと聞いていたので、「あちゃ〜、ばあちゃんたち、帰ってこれんなあ」と心配していたら、夕方、近所のじいちゃんの運転する軽トラの荷台に乗って颯爽と帰ってきた。「崩れたところだけ山越えで歩いて、道の通れるところまで軽トラで迎えに来てもろた」と事もなげに話す。なんでも、歩いて通っていた昔の道が残っていることを知っていたからだと言う。言われてなるほど。はは〜、ばあちゃんたち、さすがや。若いモンなら絶対知らない情報であるし、そもそも「車が無理なら、歩けばいい」、という感覚が私たちの世代には断然欠けている。
 村内では交通事故よりはるかに頻繁にある土砂崩れ。一端崩れると1ヶ月も通れなくなることもあり、普段の生活の不便さはもちろん、急病人が出たときのことを考えると不安でしょうがない。それなのに、奥地であることでなにかと行政の対策も後手後手になり、復旧工事も遅々として進まない。今回の土砂崩れで奥の集落の代表たちが町へ陳情に行ったが、その解答のひとつが「崩れることは前から分っていた」—これには怒りを通り越してあきれてしまう。子どもたちも毎日学校へ通う道。いくら予算がないとは言え、命を守ることを最優先にすることになぜそんなに時間がかかるのだろう。
 因に、ばあちゃんたちが動員されたゲートボールの試合は交通安全週間の一環としての町のイベントだったらしく、なんともシニカル!? しかも優勝という好成績。賞品のトイレットペーパーは山越えには邪魔だったので置いて来たらしい。そのときはばあちゃんたちの強運と機転によってことなくすんだけれど、奥地に住む者としてはそんなイベントを開催する前に、道路の安全を確かめてから交通安全と言って頂きたいんですけど。
 あ、今回は「笑えない!田舎暮らし」になっちゃいました・・・。

 
# by hitohiroya | 2008-12-03 08:53 | my works