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カテゴリ:my works

  • 「人と自然に育てられる」
    [ 2008-01-01 07:24 ]
  • 連載  笑う! 田舎暮らし   「スローな道具たち」
    [ 2007-11-01 07:22 ]
  • 連載  笑う! 田舎暮らし  「おサル」
    [ 2007-10-01 07:08 ]
  • 連載  笑う! 田舎暮らし   「お盆はBack to the Future!」
    [ 2007-09-01 07:19 ]
  • 連載  笑う! 田舎暮らし  「ハミ(マムシ)も山の恵みなり」
    [ 2007-08-01 07:18 ]
  • 連載  笑う! 田舎暮らし  「青い空と釜炒り茶 」
    [ 2007-06-01 07:15 ]
  • 連載  笑う! 田舎暮らし  「こんな不器用な私でも」
    [ 2007-04-01 07:05 ]
  • 連載  笑う! 田舎暮らし  「青い空と釜炒り茶 」
    [ 2006-06-01 07:15 ]
  • 連載 まっことええぞ これがホンケの山暮らし(最終回) 「飯盒と電磁調理器」 
    [ 2004-12-01 06:57 ]
  • 連載 まっことええぞ これがホンケの山暮らし    「自然の薬で医者いらず」 
    [ 2004-11-01 06:55 ]

「人と自然に育てられる」

コープ自然派連合機関紙タブル子育て特集号2008年1月掲載            

 私はお世辞にも、一貫した子育て道を実践しているわけでも、立派な子育て論を持っているわけでもない。毎日、二人の子どもの言動に一喜一憂したり、些細なことにいらいらしたり、自己嫌悪に陥ったり。子どもの成長に関して人並みに悩み、どちらかというと、子育ての相談にのってほしい側だと思う。だからこそ、私は子どもが「田舎で育つ」ことを選んだ。
 10年前、大阪から徳島の最奥地、木頭村に家族で移住してきたとき、娘たちは5歳と0歳3ヶ月。ここには塾もなければゲームセンターもカラオケもない。あるのは全校で20人程度の小さな小学校と小さな商店が2軒、あとは胸が透くような清流と深い山々、そして元気で温かい村の人たちだ。
 ゆったり流れる時間の中で、予定に追われることなく、お金の使い方に気をもむ必要もない。野に咲く花をどれだけ摘んでも、大きな声ではしゃぎながら道の真ん中を歩いても、川で遊んで濡れたまま帰ってきても、あれこれ細かいことを言わなくても済む。子どもに子どもらしいことをさせてやれる開放感といったらない。子どもたちは、遊びきった顔で「ただいまー」と帰ってくる。これもまたいい。子どもはもちろん、晴れて私もストレス知らず。
 また、自然と向かい合って生きている山のじいちゃん、ばあちゃんたち大人を見て成長できることも嬉しい。畑仕事にしろ山仕事にしろ、木や土、水を巧みに利用する技術は、ため息が出るほど見事ですばらしく、不甲斐ない私の口先だけでの一言より、はるかに説得力がある。ゲームとも携帯電話とも無縁の我が子たち、ゲームの攻略法は知らなくとも、ばあちゃんの作った干し芋がどれほどおいしいか、じいちゃんの焼く炭が、どれほどの時間と労力をかけてできたものかを知っている。
 そんなばあちゃんに畑で大根をもらってきたり、軒に吊るしてある干し柿をもらったり、餅をついたからと持ってきてもらったりと、子どもたちは人の温かさを何の先入観もなく素直に感じて育ってきた。10年経って、村のじいちゃんばあちゃんは「大きいなったのう」と、我が孫を見るように目を細める。「子どもは宝じゃ」—ここに来てすぐ、聞いた言葉だ。本当にありがたいことだと思う。私は、ここの自然とここに住む人たちに子どもたちを育ててもらったと思っている。
 たとえ子ども時代のひとときでもいい。誰にも干渉されず自然の中で思い切り遊び、驚き、ときに自然は圧倒的であることを知ること、その自然を巧みに利用して生きている人に触れること、また自分たち子どもが愛されているという感覚がどれほど大切か、これまでに共に暮らした山村留学生(注・地元の北川小学校では町からの山村留学生を募集しており、私はスタッフとして関わっている)たちを見ていてもしみじみ思うことである。「木頭で暮らした1年が私の原動力だ」と成人した元山村留学生たちは言う。子どもというのは常に成長し、またゆっくりでも、蓄えた子ども時代の経験を糧に成長し続けるものなのだと実感する。
 子どもたちだけではない。私自身も、ここでの暮らしにどれほど感動してきたことだろう。それはあらゆる生命の力や美しさだったり、人の温かさや強さだったり、生きる力だったり。枯れ葉を集めての焼き芋や、ドングリ拾いや野いちご摘みに暗くなるまで夢中になっているのは、実は私の方だったりするわけで、育ててもらっているのは子どもだけでなく私も、なのだ。高度成長期以降の「便利な」時代に生まれ育った私は、思っている以上に根本から何も知らないことも痛感した。この小さな山村には何もないけれど、今、子どもや親の世代である私たちが必要としていることが何でもあるように思うのだ。
  効率やスピードばかりを追ってきた結果いびつに発展した社会。でも、少し下がって田舎から町を、社会を見てみたら、何らかの解決法が見えてくるようにも思える。歪んだ社会をこれから修正していかねばならない今の子どもたち、いや、大人だって遅くない。心身ともに足腰を鍛えるためにも、「田舎で育つ」ことを是非、オススメしたい。


by hitohiroya | 2008-01-01 07:24 | my works

連載  笑う! 田舎暮らし   「スローな道具たち」

スローな道具たち

 完全な自給自足的暮らしには到底及ばないけれど、あれこれ野菜や穀物を作って、ときには虫たちに、ときにはおサルたちにたいらげられながらも、自給率を上げる努力はしている。やっぱり主食は何とか作りたいなあと思うものの、山では耕作面積が少なく田んぼは難しいので、米は断念。畑でもできる大麦を少しばかり作っている。
 もちろん自家用で収量も知れているが、少ないながらも脱穀や籾すり、精麦など、一通りの行程は必要だ、ということに収穫してからハッと気づいた。実は、そういう作業の方が手間も暇もかかるのだ。機械を貸してもらうほどの量でも出来でもないので、はて、どうするか? 早速近所のじぃちゃんに相談に行くと、さすがは機械のない時代のプロフェッショナル。納屋から出してきたのは、おおっ、これぞ歴史の教科書に載っていた「千歯こき」!? 「こうやって使うんじゃ」と見本を示してくれる。なるほどやってみると、うまい具合に脱穀が出来る。面白いのであっという間に脱穀終了。
 さて次の段階、籾すりである。昔は家々の庭のすみに備え付けの手動式籾すり機があったらしいが、そればかりはどこにも残っていないということで、木の鎚でひたすら叩いて籾を麦からはずした。「よう、乾いとらんと、うまく籾がとれんぞ」という言いつけを守ってしっかりお日様に乾かしておいたので、これまた面白いほど効率がいい。
 そして次は、籾と実をより分ける「唐箕」登場。これまた、歴史の教科書で拝んでいただけなのに、今この手で実際に使ってみることができるなんて! 手でレバーを回して風を送り、軽い籾や芒は飛ばして、鮮やかに実だけを取り出せる。これは本当にすばらしい! 当時もよほど画期的で、仕事の能率を急速にアップさせたありがたい器械だったのだろう、唐箕はどこの家にも今も大切に保管されている。
 これで「玄米」ならぬ「玄麦」のできあがり。次はいよいよ精麦だ。水車で精麦していた以前に使われていたという「踏み臼」は、人がてこの原理で足で踏んで杵を上げ下げし、精麦する。トン・・・トン・・・トン・・・と、リズミカルに踏む音がなんとも心地よい。その昔はこの踏み臼で穀物を搗くことを「おいもん搗き」とも言い、おなごシたちが赤ん坊をせおいながらの大変な労働の一つだったらしい。今や私はジャージ姿で軽快に、軽い運動靴なんかでひょい、ひょい、と踏んでシェイプアップも期待しながら・・・。すっかり軽スポーツ感覚で、申し訳ない気持ちにもなる。今のように機械で精米すると、米に熱が加わって米の味が落ちるのだそうだ。その意味で、このスローな精米(麦)機はまさにゆっくりゆっくり、米や麦の温度も上がらず旨味が保たれるということになる。
 さて、ガソリンも電気も使わず、手間と暇だけをたっぷり使ってようやく食べられるようになった麦。これは究極のスローフードや、もったいなくて食べられん!? と浮かれる私を、にこにこ見ているじいちゃん。所詮私がやっていることは、じいちゃん達から見ればままごとみたいなものだけど、スローな道具のすばらしさと、それらを使ってきた時代の人々の知恵と工夫が時代を越えて受け継がれていくためには、時にままごとも必要か、と思うわけであります。     

by hitohiroya | 2007-11-01 07:22 | my works

連載  笑う! 田舎暮らし  「おサル」

コープ自然派連合機関紙タブル10月号掲載 

 夏の出来事。「うちのはたけがたいへん さるにほられた(いも) さきにいってるよ じゃあ」。外出から帰ると、玄関に娘の書いた置き手紙が。「あちゃ〜っ、やられたか〜」。急いで長靴はいて畑へ急ぐと、先に来ていた連れ合いと娘が荒らされた畑で、抜かれたサツマイモの苗を植え直していた。
 「あ〜あ、まだ芋ついてないのに〜」。片っ端からサツマイモの苗は抜かれて、見るも無惨に踏み荒らしてある。ネットで覆いもしていたのに、くやし〜。まあよく考えればサルは手先も器用だし人間より力もある。ネットくらいやすやすとくぐり抜けるし引きちぎることもできるのだ。それでも発見が早かったので、その日遅くまでかかって植え直した芋はその後なんとか持ち直した。
 このごろのサルは賢いらしい。山の上に住むばあちゃんが、よそ行きの服を着て家を出るとたちまち畑が荒らされるそうだ。「ありゃあ、留守になるんがようわかっとるんじゃ」とばあちゃん。畑の野菜だけではない、カキやスモモがちょうど食べごろになり、「明日採るか」と思っていると、その日のうちに盗られてしまう。軒に干してある干し柿でも大根でも、ひょいっと盗っては小脇に抱えて堂々と吊り橋わたって帰っていく。「わしら、おサルさんの残りもんもろうて食べとるわ」とばあちゃんは苦笑い。
 ここ近年、サルだけでなくシカ、ハクビシン、キツネの獣害もひどい。「山に食べるもんがないんじゃろ」と山のシ(人)たちは言う。「昔は実のなる木がいっぱいあったんじゃがの。わしらも子どもんときは山行っては山栗だのケンポナシだの、採ってきては食べたけんど、今あ、ほれ」と、取り巻く杉の山々を見上げる。拡大造林計画の杉山もしかり、タヌキしかいなかったタヌキ王国四国に、ウサギを駆除するキツネをいれたのも人間なのだから、すべてはつまり、自然のしっぺ返しなのかもしれない。
 しかしながら、おサルさんたちのためにせっせと畑仕事にはげむほど、私は人間ができていないので、これから収穫を控え、万全の体制で野菜を守らねばならない。サツマイモも収穫間近、黒大豆も膨らんできた。これまで周りだけ覆っていた防除ネットを上部にも、手が入らないように目の細かいものを、すぐ破られてしまわないよう丈夫な素材で。そうなるとネット代もバカにならない訳で…。相当高いイモにつきそうだ。水、食べ物、空気、すべてにおいて言えるかも。人間の傲慢は結局はリスクの方が大きくなる。

by hitohiroya | 2007-10-01 07:08 | my works

連載  笑う! 田舎暮らし   「お盆はBack to the Future!」



大阪から四国の山村に移住した私たち、お盆の里帰りは田舎から都会に帰ることになる。Uターンラッシュに逆流するため、渋滞や満席とは無縁でラッキー…でも、田舎の時間・空間に慣れてしまったので、駅や町中の人混みですらかなり苦痛ではある。
それでも今年も気合いを入れて里帰りを決行。苦手な雑踏を何とかクリアして、ようやく子どもたちも楽しみにしているばあちゃん家(私の実家)に到着。私はよれよれになりながら「たらいま~」と倒れ込む。「まぁ~、大きいなって」と、ばあちゃんこと私の母は孫達の成長ぶりに目を細める。
久しぶりに会ってひとしきりしゃべってから、「さ、御飯にしよか」と母が台所に消えたかと思うと、「ピッ、ピッ、ピー」となにやら電子音が。「何? 何?」と行ってみると、ガス台だったはずがHI調理器になっている。「えー、いつの間に! 電磁波危ないで…」と私が言いかけると、また別のところで「ピー」と鳴っている。ポットでお湯が沸いたらしい。次は「ピッ、ピッ、ピッ」と電子レンジ。何を手伝えばいいのかわからず子どもと共に食器運びを担当。相変わらず部屋のどこかで電子音が鳴る中で、久しぶりの母の手料理はHI調理器だけれど懐かしくおいしかった。
さあ食器でも洗うかと石けんを持つと、「食器洗い機があるから」と母は私を押さえ込む。きれい好き(?)な母は一度食器を洗ってから食器洗い機に入れて、またもや「ピッ、ピッ」。「それって意味ないじゃん」と私は心の中で思うが「きれいになるんよ、これが」と誇らしげな母を見ると口に出せない。使い方を聞こうとしたが結局「あんたにはわからんやろ」と、滞在中一度もさわらせてくれなかった。
お風呂ももちろん「ピッ」と指一本で湯が入る。昨日まで、薪を割って風呂を焚いていた暮らしが一気に「文化的」になり私はする事がなく、おかげでのんびりはできた。十分遊んでゆっくりして、そんな中でも母はインターネットでなにやら検索、父はデジカメで孫の写真を撮り即座にプリント。
帰り際、「あんたのつくった梅干しおいしかったわ。また今年のできたら送って」と母。「へい、へい」と返事をして、再び雑踏をくぐり抜け山に帰ってきた。まさにBack to the Futureな盆休みであった。畑のトウキビを炭火で焼きながら、忙しくて延び延びになっているかまど作りのことを考える。早くしなくちゃなぁ。そうそう、近所のばあちゃんに、麦を脱穀する昔の器具を貸してもらうことにもなっている。麦を脱穀したら炒ってはったい粉にしてみよう。山の夏ももう終わり。畑の秋の収穫が待ち遠しい。里芋に落花生、黒豆にサツマイモ、はったい粉も入れて梅干しと一緒に母に送ろうかな。


by hitohiroya | 2007-09-01 07:19 | my works

連載  笑う! 田舎暮らし  「ハミ(マムシ)も山の恵みなり」



 「あ、ハミ(マムシ)や!」
それを聞いて、私はぎゃーっと逃げる。山の人(ルビ・シ)は、「よっしゃ」と捕まえに行く。この差は大きい。捕まえられたハミは生きたまま焼酎漬けにされるのだ。山の暮らしはとても魅力的で、山のじぃやばぁたちがやっていることは一通りトライしてみたい私だけれど、ハミだけはどうも…。
とはいえ、ハミもスズメ蜂もひっくるめての山暮らし。まったくそれらに出会わずに過ごすことなんて不可能だ。夜、玄関先でハミに噛まれたなんて話も聞くので、夜はなるべくサンダル履きはやめるとか、スズメ蜂なら素早い動作をしないとか、居るのが当然と考えて行動するしかない。
 先日、「今からハミ持って行くけん」と、近くのおっちゃんから電話があった。数分後、おっちゃんが一升瓶に入った元気なハミを持ってやって来た。瓶には半分ほど水が入れられ、このまま2週間ほどおいてお腹の物を出させるという。瓶の中にいるとはいえ、そのふてぶてしい顔つきと毒蛇の威厳、隙あらば逃げ出してやろうという狡猾そうな目つきに、すっかりびびる私。「子どもにも、本物をよう見せとかなあかん」とおっちゃん。子どもらも興味津々、でもちょっと顔を引きつらせながら「うわぁ~…」と見入っている。「これ、やるけん」とおっちゃんはその目つきの悪いハミをおいて帰っていく。
 それから2週間、生きたハミが家にいる、というだけでドキドキしている私たちに、その生命力を見せつけるように瓶の中で子どもを2匹産んだ(ハミは卵を産まないのだ)。何かちょっと感動…。でも、子ハミでも噛まれたら猛毒らしい。
餌を食べずに少し弱っているとはいえ、母子ともに元気なまま、次は水を捨てて焼酎で漬けなければならない。このときよく噛まれるらしい。山の暮らしの登竜門、一度はチャレンジを、と張り切る連れ合いだが、家族の猛反対を受けてやはり断念。「すみませ~ん」と焼酎とハミ入りの瓶を持って近所の名人にお願いに行った。名人の手に掛かって、文字通り浴びるように焼酎を飲んだハミはようやくご臨終、つい手を合わせてしまう。
数年熟成させたハミの焼酎漬けは、飲んでもちろん切り傷などの外用にもよく使われてきたようだ。その身も焼いてあぶって食べたら強壮剤にもなり、そこそこおいしいらしい。そういえば、捕まえたハミを目の前で割いて肝をそのままぱくりと食べてしまったすごいじぃもいて、そのじぃは朝から木を伐り薪を割り、日中は曾孫とキャッチボールをする。すごいパワーだ。ハミというと嫌われ者のようだけれど、山の恵みの一つともいえるのだ。
我が家の台所にひっそりと眠るハミ焼酎。何だか生き返ってきそうな気がして厳重に蓋をしてある。私はまだまだ、ハミを追いかけて捕まえる域には到達しそうにない。

by hitohiroya | 2007-08-01 07:18 | my works

連載  笑う! 田舎暮らし  「青い空と釜炒り茶 」



 5月に入ると、青空の下、山の斜面のあちこちで麦わら帽子が見え隠れ。お茶摘み
の季節だ。山のばあちゃんたちは、自分たちの家で飲む1年分のお茶をこの時期に摘
む。手摘みなので茶の木自体の大きさをそろえる必要はなく、それぞれ思い思いに枝
葉を伸ばしているのが山の茶らしくていい。
 我が家は毎年、近所のばあちゃんちのお茶の葉を摘ませてもらっている。「家族も少
のうなって、こんなにいらんのよ」「今年は日和が続くけん、お茶がよう干せてえぇわ」、そんなばあちゃんの話を聞きながら、柔らかくつややかに伸びた新芽をぷつんぷつんと摘みとっては、腰につけた竹篭に入れていく。ばあちゃんたちは、そこに茶の新芽がある限り、天気が続く限り、えんえんと数日間茶摘みを続けるのだが、軟弱モノの私と連れ合いは半日も摘んでいればまいってくる。気持ちのいい作業だが、ばあちゃんたちにはかなわない。
 茶摘みの次は、釜で炒る準備だ。このあたりでは「釜炒り茶」*といって、摘んだばかりの茶葉をそのまま大釜にどさっと入れ、薪を炊いて炒りあげるのだが、この火加減がなかなか難しい。今年も例年どおり、「火が弱い!」「おー、熱すぎる!こげる〜!」と、大騒する私たち。いつになったら慣れるのか? 熱いし煙は目にはいるし、中腰での作業なので、汗やら鼻水やら釜に落ちそうになるところをなんとかくいとめる。でもちょっとは入ってる、きっと・・・。 
 それでもなんとか一面香ばしい香りが漂い、茶の葉同士の水分でしんなりしてくる。次はムシロに移して熱い茶の葉をひたすら揉む作業だ。全体重をかけて、揉んで揉んで揉んで・・・。釜炒りと同様、汗の吹き出る作業である。熟練したばあちゃんたちがすると簡単そうだが、やってみるとそううまくいかない。茶葉がぼろぼろと手からこぼれ落ち、「あらっ、あららっ」と、もたもたしているうちに冷めてしまう。これもまた、例年通り・・・。
 茶葉が細くよれると、今度はムシロに広げて丸1日お陽様に乾かして出来上がり。この季節はどこの家でも、五月晴れに茶葉が庭先に干されていて、なんともほっとする光景だ。
 その年、その年の気候や茶の木の様子によって、その年ならではの茶の味があるという。また、茶の炒り方や揉み具合によって、それぞれの家庭の茶の味がある。自家用のお茶を作るー都会に住んでいるときは考えてもみなかった。今年も我が家は、手際が悪く、未熟ななりの「我が家の茶」。さ、原稿を書く手を休めて一服。ふ〜っ、うまいんだ〜、これが。

*釜炒り茶は、四国の山間地と九州のごく一部にしか残されていないそうです。

by hitohiroya | 2007-06-01 07:15 | my works

連載  笑う! 田舎暮らし  「こんな不器用な私でも」

 コープ自然派連合機関紙タブル 2007年4月掲載  

 大阪から家族で徳島県木頭村(現・那賀町)に移住して9年目になる。いわゆる私たちは、町を出て小さな村に暮らしている「Iターン」家族。当時それぞれ5歳、0歳3ヶ月だった娘たちも、中学1年生と小学2年生になった。村のじいやばぁにかわいがってもらい、すっかり「山の子」生活を満喫している。
 今、「スローライフ」や「田舎暮らし」に関する雑誌や記事が巷に溢れている。そこには衣・食・住を完璧に「自給自足」しているすごい人たちが登場し、また、染色や陶芸など自分の技術を活かして、ゆったりと田舎の時間を楽しんでいる人たちが、逆光に照らされ天然色系の調度品の中でかっこよく雑誌の表紙を飾っている。本当にすてきだと思う。 
 それに引き替え、特別な技術も芸術的なセンスも持ち合わせていない私たち。完全な自給自足を目指しているわけでもなく、農業でやっていこうという根性もない。とにかく暮らしていく上での必要性と、興味の赴くままに、村のじぃやばぁたちの暮らしを何でもかんでも見様見真似でやってきた。畑、保存食、炭焼き、小屋作り…不器用な私たちはいまだに失敗することのほうが多いし、やることなすこと遅れをとる。隣のばあちゃんが梅を漬けていたら、あわてて籠を引っさげて梅を採りに行く。やっと作ったタケノコの塩漬けもなかなか食卓にあがらず、その内また新鮮なタケノコの季節になってしまったときもある。我が家の「田舎暮らし」は一年中どたばたしていて大失敗と大失笑の連続、どう見ても雑誌のカラーページを飾るほど美しくなく、どちらかと言えばギャグ漫画のコーナーだ。
でも今、この小さな山村での暮らしが楽しくてたまらないのだ。そう、笑える田舎暮らし。毎日何かに笑っている。それは自分たちの失敗だったり、村のじぃやばぁとの楽しい会話だったり、山の子どもたちの純朴さだったり。私たちは決してお手本になるような田舎暮らしではないけれど、不器用なりの楽しさをこの連載で少しでもお伝えできればと思っている。これから田舎暮らしを考えている人も、全く興味のない人も、どうか一緒に笑ってくださいませ。

by hitohiroya | 2007-04-01 07:05 | my works

連載  笑う! 田舎暮らし  「青い空と釜炒り茶 」

          玄番真紀子

 5月に入ると、青空の下、山の斜面のあちこちで麦わら帽子が見え隠れ。お茶摘み
の季節だ。山のばあちゃんたちは、自分たちの家で飲む1年分のお茶をこの時期に摘
む。手摘みなので茶の木自体の大きさをそろえる必要はなく、それぞれ思い思いに枝
葉を伸ばしているのが山の茶らしくていい。
 我が家は毎年、近所のばあちゃんちのお茶の葉を摘ませてもらっている。「家族も少
のうなって、こんなにいらんのよ」「今年は日和が続くけん、お茶がよう干せてえぇわ」、そんなばあちゃんの話を聞きながら、柔らかくつややかに伸びた新芽をぷつんぷつんと摘みとっては、腰につけた竹篭に入れていく。ばあちゃんたちは、そこに茶の新芽がある限り、天気が続く限り、えんえんと数日間茶摘みを続けるのだが、軟弱モノの私と連れ合いは半日も摘んでいればまいってくる。気持ちのいい作業だが、ばあちゃんたちにはかなわない。
 茶摘みの次は、釜で炒る準備だ。このあたりでは「釜炒り茶」*といって、摘んだばかりの茶葉をそのまま大釜にどさっと入れ、薪を炊いて炒りあげるのだが、この火加減がなかなか難しい。今年も例年どおり、「火が弱い!」「おー、熱すぎる!こげる〜!」と、大騒する私たち。いつになったら慣れるのか? 熱いし煙は目にはいるし、中腰での作業なので、汗やら鼻水やら釜に落ちそうになるところをなんとかくいとめる。でもちょっとは入ってる、きっと・・・。 
 それでもなんとか一面香ばしい香りが漂い、茶の葉同士の水分でしんなりしてくる。次はムシロに移して熱い茶の葉をひたすら揉む作業だ。全体重をかけて、揉んで揉んで揉んで・・・。釜炒りと同様、汗の吹き出る作業である。熟練したばあちゃんたちがすると簡単そうだが、やってみるとそううまくいかない。茶葉がぼろぼろと手からこぼれ落ち、「あらっ、あららっ」と、もたもたしているうちに冷めてしまう。これもまた、例年通り・・・。
 茶葉が細くよれると、今度はムシロに広げて丸1日お陽様に乾かして出来上がり。この季節はどこの家でも、五月晴れに茶葉が庭先に干されていて、なんともほっとする光景だ。
 その年、その年の気候や茶の木の様子によって、その年ならではの茶の味があるという。また、茶の炒り方や揉み具合によって、それぞれの家庭の茶の味がある。自家用のお茶を作るー都会に住んでいるときは考えてもみなかった。今年も我が家は、手際が悪く、未熟ななりの「我が家の茶」。さ、原稿を書く手を休めて一服。ふ〜っ、うまいんだ〜、これが。

*釜炒り茶は、四国の山間地と九州のごく一部にしか残されていないそうです。

by hitohiroya | 2006-06-01 07:15 | my works

連載 まっことええぞ これがホンケの山暮らし(最終回) 「飯盒と電磁調理器」 

「田舎暮らしの本」(宝島社)2004年12月号 掲載


 「もう、わしが戦争に行って来た証は、これ一つしか残っとらん」と、キク兄が古びた飯盒を出してきた。第二次世界大戦。キク兄は22歳の時、召集令状で四国連隊としてビルマに派兵され、最も厳しい戦況のなか生き延びて現地で終戦を迎えた。内地からの食料も生活物資も途絶えてからなお、ジャングルの中を1年あまり背走した話は聞くだけでもすさまじい。

 食べるものは現地で調達したわずかな米、時にはジャングルの植物や小動物。キク兄の話を聞いて、何とか同じ状況にいる自分をイメージしようとするのだが、想像することすら到底無理。まず雨期のジャングルで火を熾すことからできるはずもない。

 でも、いま私の目の前にある飯盒が、キク兄の命をつないだ道具なのだと思うと、資料館で見たりするそれとは違うリアリティーをもって「戦争」というものが迫ってくる。

 「まぁ、わしらは田舎モンじゃったけんど、ああいうところでは山での経験が役に立ったのう。野生のこんにゃく芋でこんにゃくも作ったし、毒蛇も捕まえて食べたもんじゃ。ハミ(マムシ)もそうじゃが、毒のある蛇はうまい。腹を下した仲間には、竹の黒焼きを煎じて飲ませたこともある。戦争も終盤頃はイギリス軍の攻撃から逃げて河を渡るんじゃが、竹を切って筏を組むにも、縦に割れんようにする切り方がある。縄も竹をうすく剥いで綯ってこっさえる。都会から来とったもんは、だいぶ苦労しとったのう。よう手伝うてやった」。砲弾で撃たれるより、病気や飢え、河を渡れず流されて亡くなる人が多かったというビルマ前線。キク兄がよくぞ生き延びて帰ってきたそのわけは、山人の知恵と忍耐力が大きな要因だったんだと改めて感じ入る。


「飯盒と隠居の家」


 敗戦後キク兄の持ち帰ったその飯盒は、後の山仕事でも活躍した。奥山で木を切り出したり、焼き畑をしてヒエやアワを作るため、何日も山に泊まり込むときに重宝したそうだ。「飯盒で炊く飯は格別うまいもんじゃった」

 戦争という、人が人を殺し合う「非日常」で使われた飯盒が、今度は生きるための「生産」の場で再び使われる。炊いたご飯の味もさぞかし違ったことだろうと感慨深い。

「山の仕事も無うなってからは使わんようになったけん、もう今はしまい込んであるけんど、まぁ、生きているうちは残しておこうと思う」

 使い込んで焼き切れたという飯盒の持ち手は、戦地で見つけた銅線で作り直され、丈夫に美しくリメイクされている。底の部分も薄くなってはいるが、まだまだ現役で使えそうだ。

 キク兄と運命をともにした飯盒を写真に撮らせてもらっていると、お連れ合いのウヂヲさんが汗を拭き拭き顔を出した。「こんなもんを見てくれるんは玄番さんくらいじゃ。けんど、ほんなに写真撮って、写真がもったいないわ、はははっ」 。

 この日はちょうど、町に住んでいた息子さん夫婦が定年を迎え、引っ越して戻ってくるというので、朝から所帯道具を隠居の家に運んでいたのだった。この辺りでは、隠居制度といって、息子か娘が結婚すると、母屋を譲り渡し同じ敷地内か近くにある隠居の家に移り住む慣習がある。

 その飯盒も、荷物を運び出しているときに何十年ぶりに表に出てきたというわけだ。


「次の世代に伝えるもの」


 キク兄は80年近くすんだ母屋を明け渡し、20年ほど空き家になっていた小さな隠居の家に昨日初めて泊まったという。それまで毎年薪を割り、毎日薪の風呂を焚いていたが、「もう年寄りじゃけん、火は危なかろう」と、隠居の家では電気温水器を取り付け、台所も電磁調理器に変えた。

 「今までと勝手が違うもんじゃけん、今朝、味噌汁炊こうと思うても、湯がなかなか沸かんのじゃ。おかしいと思ったら、どうやらアルミの鍋がいかんのじゃった」とウヂヲさん。キク兄は「確か、付属に専用のステンレスの鍋があったはずじゃ、ってばぁさんに言うても「知らん」って言い張る。「あった」「なかった」って言い合いしよったら、ばあさん、その鍋にトマト入れて冷蔵庫で冷やしとるんじゃ。はっはっはっ」

 火が扱えてこその山暮らし。山に生きてきたキク兄夫婦の暮らしから「火」が無くなってしまうのは、寂しく切ない気がする。でもその一方で、新しい生活環境に戸惑うキク兄夫婦の失敗談を聞きながら、私はなんだかウキウキしていた。それは、キク兄たちが「もう帰って来んじゃろ」とあきらめていた息子さん夫婦が村に帰ってくることが、切なさ以上に嬉しかったからだ。

 60年近く野菜を作ってきても「まだまだ毎年勉強じゃ」と笑うウヂヲさん。80歳を過ぎ、伝えるものは次世代に十分に伝えて、これからまた新たな勉強の始まりなのかもしれない。

 飯盒と電磁調理器。この半世紀、人々の暮らしの変化は未だかつて無いほど大きい。高度経済成長期以降に生まれた私は、便利さばかりを追い求める時代の河に流され溺れかけていた。でもこの村に来て、本当に大切なのは何か、何を残して何を子どもたちに伝えるべきかを考えるようになった。それは人と人のつながりであったり、山に、自然に、生かされているという感覚であったり、その中で暮らしていく知恵であったり・・・。でも、まだまだ山の暮らしは奥が深い。明日またどんな発見があり、どんなことに出会えるか毎日わくわくしている山暮らし八年目。私の勉強は始まったばかりだ。

by hitohiroya | 2004-12-01 06:57 | my works

連載 まっことええぞ これがホンケの山暮らし    「自然の薬で医者いらず」 

「田舎暮らしの本」(宝島社)2004年11月号掲載

身近な野草が
薬になる

「ありゃあ。足がめんどいことになっとるの」。虫さされやあせもで、ひっかき傷だらけの娘の足を見て、イワ兄がぽつり。走り回って遊んではすぐに汗をかくので、塗り薬もあまり効き目がない。
「ホウセンカの焼酎漬けが効くぞ」とイワ兄。
「え、飲むんですか?」
「違う違う、あせもにつけるんじゃ。わしらも小さいときから家に作って置いてあったわ」。
 ホウセンカの花を摘み、焼酎に2,3週間漬け込んでおいたものを、患部にひたひたと付けるのだそうだ。花は白いものに限るという。
「あせもにはよう効く。擦り傷には、ハミ(マムシ)の焼酎漬けがええ」。
居合わせたケイ兄も「ほーじゃ、ほーじゃ」と頷いている。
 「山で仕事をしているときも、薬なんぞ持っていかんけんの。ケガしたらヘクサンボ(ヘクソカズラ)のツルをつぶしてその汁を塗ったし、化膿したところにはドクダミを蕗の葉に包んで火の中に入れて、蒸されてドロドロになったのを付けるんじゃ。ほんならいっぺんに治ったもんじゃ」。その他にも、ネブカ(ネギ)の汁は虫さされに、ヨモギの葉は切り傷にと、山暮らしならではの民間療法を、誰もが共通に身に付けている
 外用だけではなく、飲む薬も自前で調達する。以前、この辺りでもすっかり珍しくなったという「センブリ」という薬草をキク兄にもらったことがある。センブリは名前の通り「千回湯の中で振っても苦い」というほど独特な苦みがあり、食あたりや胃腸痛に効くという。サバなどの青魚にあたったときは「クロモジ」の木を削ったものを、子どもの熱にはウドの根を乾燥させたものを、それぞれ煎じて飲む。
 病気、ケガ、家畜用の薬まで、それらがどの季節に、山のどの辺りに自生しているかもすべて把握し、さり気なく利用している山人の暮らしが、今もここにある。


「医者いらず」と
「医者おらず」

 今では村に診療所があるし、大きなケガや病気なら車で町まで行くこともできる。でも、じぃやばぁたちが子どもの頃は医者の一人もいなかった。ちょっとばかりの病気やケガなら、そういった自然の薬を取り入れながら、自力で治すしかなかったのだ。もちろん山の労働で鍛えぬいた身体は、貧弱な私たちとは比べものにならないだろうけれど、少なくとも「医者いらず」以前に「医者おらず」だったのは確か。
 ただ、重い病気の場合に限ってはやむなく町の医者にかかったという。
  近所同士が7,8人集まって、峠を越えて町まで病人を運ぶ。運ぶ道具は、担架のようなものを考えていたが、
「担架では、山の急なところで病人が滑り落ちてしまう」と、キク兄に笑われた。イメージとしては時代劇の駕籠のように、長い棒に、布でつり下げた板の上で病人は座った姿勢のまま運ばれるのだそうだ。細く、曲がりくねった山道なので、前後1人ずつしか担ぐことができない。それぞれが手弁当で時々交代しながら、乗り合いバスに乗れるところまで運ぶこと40キロ。もちろん足はわらじ履き、1日がかりの大仕事だった。
 こうした「山の救急隊」出動もそうたびたびあることではなかったが、80歳を過ぎたウヂヲさんはよく覚えている。「うちの母親は病身やったけん、何度か運んでもろうたわ。運ぶ方も大変、運ばれるほうも重病じゃもの、まぁ、大変じゃわの」。何もかも便利になった今となっては、そんな大変な運搬劇も、それほどまでの人と人との結束も想像することすらできない。でも、そんな時代を生きてきた人たちだからこそ、強く、温かく、優しいのかもしれないな。

民間薬の
効き目はいかに

 さて、今や貴重な「センブリ」を、食べ過ぎて胃もたれしている連れ合いに試してみた。
「にっが~」と顔をゆがめる連れ合い、「でも、効きそうな気がする」。1時間後にはすっかり治って、その効果に驚いていた。センブリが効いたのか、時間が経ったからよくなったのか、センブリを飲んだという気分から治ったのか。野草の薬効は西洋薬ほど即効性はなく、人によって効き目が違うと言うからあまり過信はできないけれど、少なくとも身近な自然の効力を身体に取り入れるのは身も心も何とも気持ちがいいものだ。
 身近に病院があることは確かに安心感はある。でも、できることなら厄介になりたくはないし、西洋医学に頼らず身体の自然の声に耳を傾けていたいと思う。
 早速、じぃやばぁたちに聞いた民間薬を自分でも作ってみようと、まずはホウセンカの白い花を集めて焼酎に漬け込んでみた。これができあがる頃には秋風が吹いてあせももひいているだろうけれど、来年の夏に向けてじっくり熟成させるべし。
 子どもたち、来年も山や川でたくさん遊んでたくさん汗をかいて、あせもをたくさん作っておくれ。母は今から試してみたくてうずうずしているのだから。

by hitohiroya | 2004-11-01 06:55 | my works